􀞣歴史上の人物􀞤􀀂 􀟩􂸥􀩐􀧻􂷩


人の目利き

「刀や脇差の鑑定に心配りをするように、人物の観察にも
 心がければ見損なうことはない」・・・名将言行録


徳川家康が上杉討伐に向かう途中で三成の挙兵を知りました。
そのとき家康が憂慮したのは、家康の連合軍の中に秀吉恩顧の
武将が多く加わっていたことです。


中でも秀頼への忠誠を感じる福島正則の態度が他の武将への
影響が大きいと思われました。
そこで正則を説得して徳川方につかせたのが黒田長政です。
家康はこの功に報いて筑前52万石を長政に与えました。

乃木希典

『うつし世を神さりましし大君の みあとしたひて我はゆくなり』
                       陸軍大将 
明治天皇御大葬の当日、夫人とともに殉死。享年六十四歳

雲井龍雄

『この身飢ゆればこの子育たず、この子棄てざればこの身飢ゆ。
   捨つるが是か捨てざるが非か、人間の恩愛この心に迷ふ』

 ・・・「自分が飢えれば子は育たず、その子を引き離さないかぎり
     自分が食えない」(棄児行)

明治維新の独自の革命家、米沢藩の雲居龍雄は27歳で刑場の露になりました。
雲居龍雄は詩人でもありました。
名文として有名な「討薩檄」(とうさつのげき)を起草。

この雲居龍雄を主人公にした長編小説を藤沢周平さんが「雲奔る(檻車墨河を渡る)」
という作品を残しています。

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